小川宏展によせて ―「偶形」について―
佐藤秀治

いかめしい顔をして、作品に近付いたり、離れたりして
漠然と眺めるという見方を私たちはいつしか身につけさ
せられてしまったようである。眼を細め大まかに対象を
見るということも、無意識にやってしまう。これは、自
然の風景やタブロー作品を見るために長い間継承されて
きた有効な手段でもある。
私は今回の小川作品の味わい方について、ひとつの提案
をしたい。私たちは普段作品を「拡大して視ること」は
ない。そこで想像してみてもらいたいのである。
意志をもって打った点に、美しさとは別に形の成り立ち
に関わる視点が隠されていることに気付かされるはずで
ある。任意に打たれたはずの点は、拡大して視ると偶然
な形であったことに気付かされる。
墨液を含んだ筆先から生まれた書画は、筆法・筆圧の潔
さや美しさとは別に、大いに飛躍すれば、自己の中に同
居する他者を引き連れることに気付かされ、「遇形」と
しての面白さの迷宮に誘い込まれるのである。
想像してみてもらいたい。「ミクロの大きさに」なって
小川作品の中に入って見ると、点は墨の海であり白い雪
原に見えるかも知れない。点は背景としての余白を「遇
形」としてかたどり、重なり合うことで重層・合体とし
ての新たなる「遇形」を生む。更にモノプリントは「遇
形」を突き放して見せている。…
「拡大して視ること」「ミクロの大きさに」ということ、
小川作品を通して『想像して視ることから導き出られる
ことがある』ことを私は学ばせていただいた。感謝


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