高石次郎展によせて
安藤郁子(陶芸家)


思い切って言ってしまおう。高石次郎の作品を言い表す
なら「繊細で過剰な、愛」だ。氏はいつでも何に対して
も、繊細でありながらちょっと過剰な程真剣に愛を注ぐ。
今から20年程前、初めて目にした氏の作品は、様々な
現代的技法を使った色鮮やかでポップ、そしてシニカル
なものだった。若かった私はそれらに世界が明るく広が
るような衝撃を受けた。その後も氏は継続的に作品を発
表し続け、作品が持つ雰囲気は今も変わらない。
しかし今回の作品は何かが決定的に大きく変わった。一
体、何が変わったのか。作品は一見、たのしくカワイイ
世界なのだが、すぐにそこはかなりシュールで傷が痛む
ようなカオス的世界でもあるのだと気づかされる。時間
や空間の概念はねじれ、突飛なものが脈絡のないつなが
りを見せている。そう、その世界はそのまま、高石の内
側の世界なのだと合点がいく。繊細で過剰な、愛。  
高石はもしかしたらこの20年間、ずっと苦悩し続けて
きたのではないか。それは「陶芸」という自己の外側の
現象と、滲み出すじぶんの表現という自己の内側の現象
との間で起こる激しい摩擦、あるいはどうしようもない
隙間がもたらす苦悩。そしてその苦悩の中で「陶芸」と
いうものをもう一度自分の身体で捉え直す作業をコツコ
ツとしつこく続けてきたに違いない。「陶芸」がしっか
りと身体の一部なった今、「高石次郎」がその身体から
自然にあらわれて作品となり「繊細で過剰な、愛」が胸
に迫ってくるのだ。

 

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