掛井五郎展に寄せて
佐伯誠[文筆家]

故郷をふりかえることなく

いつだったか掛井さんが、「芸術家は故郷に帰ってはい
けない」とおっしゃった。こういうとき掛井さんは謹厳
な顔をしたままユーモラスなことをおっしゃるので、そ
の真意をはかりかねた。年譜にあたってみると、たしか
にふるさとから遠く離れて転々、ノマドのようにメキシ
コやベルギーやフランスに住んできたことがわかる。や
さしいふるさとに抱擁されることを戒めてきたのは、そ
ういう決意があってのことなのか、とあらためて思った。
そのときは、口数が少なかったこともあって、おっしゃ
ることが箴言めいていて、歳月の万力に搾られてしたた
ることばだと緊張した。もう一つ、「異議申し立てをす
る」というのも、いかにも掛井さんらしいことばで、こ
れまでに長いものに巻かれるというようなことを一切し
てこなかったのではないだろうか。
むしろ、あえてことを荒立てるようなところさえある。
いつも天を突き上げるように背筋をのばしてさっそうと
しているダンディぶりについつい騙(だま)されるのだ
が、掛井さんはいわゆる成熟というものを拒んでいると
いうことでは恐るべき子どもなのだ。無二の友人でもあ
る彫刻家の保田春彦さんが掛井さんのことを、オトナで
あるのに子どもの描線を有していると評したことがあっ
た。つまりは、生まれながら描線のたしかさを身につけ
ていて、しかもそのことを制約としていないということ
だろう。
初期のデッサンやブロンズ像をみると、この人がいかに
早くマエストロのメチエ(技法)を獲得していたかに驚
かされる。それから以降は、年齢をさかのぼるような奔
放自在さに目をみはる。近年の作品では、昆虫をモチー
フにしたシリーズがそうだったが、木でこしらえた虫が、
いまにもムズムズ動き出しそうだった。ギュッと生命そ
のものをつかんでいて、ホラ生きてるだろ、と突きつけ
るような躍動感があった。お孫さんが作ったのを見て、
それに刺激されて憑かれたように制作したのだというこ
とだった。
掛井さんは、常に新しいことを敢行することを止めない
人だが、その原動力になっているのは「パッション」以
外のなにものでもないだろう。パッション(情熱/受苦)
こそは、掛井五郎という希有の彫刻家のふるさとなのだ。

(以上, 新潟日報「あーとぴっくす」掲載文より)


掛井さんのノアの方舟

このあいだ掛井さんのお宅をたずねたとき、ついに完成
したという絵巻物三巻をみせていただいた。旧約聖書を
題材にしたもので、『ノアの方舟』『哀歌』『ヨハネ黙
示録』の三部作で、いずれも二十七米にもおよぶ長尺で、
それぞれ一字一句を書き写してそこに自由に絵を付けた
ものだ。ゆっくり巻物をひろげてみせてもらったが、こ
とばを失って黙りこくるしかなかった。描かれているの
は、この世のあらゆる災厄の地獄図だが、悲惨さよりも
希望のようなものを感じた。この絵巻をなんとしてでも
展示しなければという切迫した想いにかられたのも、こ
れこそがほんとうの鎮魂になると信じたからだ。
昨年、掛井さんからいただいた手紙に「今日も書きつづ
けているのは〈ノアの方舟〉です。我が家を方舟にした
てて、流れてゆく物語です。毎日、報道されている、災
害も、旧約聖書、創世記の時代と重ね合せ、驚くべき新
鮮さを感じます。」とあったことを思い出したのだが、
古典へと回帰するというよりはむしろ現在にこそ関心を
もっている作家の関心のあり方にも、不意をうたれた。
つけくわえると掛井さんのお住まいは、たしかに方舟の
ようで、大きな扉をあけると彫刻がスクッと立っていて、
アトリエの棚にならんだマエストロの手遊びのオブジェ
なども、いずれは方舟につまれるようにいかにも安堵し
た顔つきだ。
掛井さんは、無名であることの重要性をおっしゃったこ
ともあって、そのことで思いあたるのはシモーヌ・ヴェ
イユの「名もなき者となること、人間という物質になる
こと」という苛烈なことばだ。そうした決意は、世界が
悲惨さに充ちているということに歯ぎしりするからのこ
とだ。掛井さんというと、じっとしてないでいまにも動
きだしそうな、天衣無縫な生命讃歌の作品ばかりだと思
われがちだが、おそらくは死者をよみがえらせたいとい
う祈りに発している。それほどに、世界には殺戮と災厄
がたえないということだが、それに異議を唱えるのがニ
ンゲンの努めだということだろう。ニンゲンというのが
あいまいなら、藝術家といってもいい。
八十歳をこえて矍鑠としているのは、掛井さんの胸のな
かにマグマのようにパッションが沸騰しているからにち
がいなくて、それこそがノアの方舟の舳先を未来へとむ
けるものだろう。

労苦という名のパッション

樽のなかに住んでいた古代ギリシャの哲学者、ディオゲ
ニスは、「もっともすばらしいもの、それは労苦だ」と
いったというが、それは皮肉とばかりはいえないかもし
れない。なぜなら労苦とは力を引き出す壁のようなもの
で、それがなければニンゲンは持てるものを行使すると
いうよろこびを感じることができない。彫刻家というの
は、この労苦についてのプロフェッショナルといっても
いい。鉄や石といったおいそれとは従わせられない素材
を、なんとか確固としたフォルムへと形づくるのだから。
掛井五郎さんは、その風貌からいってもまがうことない
彫刻家で、ジャコメッティに比す人も少なくない。けれ
どその作品をみていくと、むしろ硬直したところのない
しなやかな奔放自在さに特長がある。ブロンズ、鉄、木、
ガラス、紙、石ころ、ありとあらゆる素材を選んで、ニ
ンゲン、犬、花、昆虫、石ころ・・・それこそ森羅万象
にわけへだてなく視線を注いで、ブロンズ、鉄、木、ガ
ラス、紙・・・、ありとあらゆる素材によって、新しい
いのちを吹き込む。チョコレートの函がオブジェになっ
ていたり、ワインの栓が道化の顔になっていたり・・・、
まさに慈愛にあふれたブリコルール(器用人)だ。ギャ
ラリーで人と話しているときも、手は動いていて、なに
かしら作っている。こういう人にとって、労苦というも
のは親密なものなのだ。それなしに、生きている実感も
味わえないだろう。
労苦というものは、どんなときにも自ら率先して引き受
けるもので、世界との親和をはかるための秘儀といって
もいいかもしれない。労苦の裏には、赤い血の、燃える
焔の、パッションがぴったり貼りついているのだ。
このあいだ、掛井さんのお宅で、ついに完成した旧約聖
書三部作の絵巻物をみせていただいた。いずれも全長二
十七米にもおよぶ長尺で、『ノアの方舟』『哀歌』『ヨ
ハネ黙示録』の一字一句が筆で写され、自由な絵が付け
られている。ただ圧倒されるばかりで、ことばも発する
ことができなかったが、おそらくは日々倦むこともなく
描きつづけられた成果だろう。描かれている地獄図は悲
惨だが、災厄をはねかえすようないのちの大河だと思っ
た。いま、あらためてこの希有の彫刻家の作品のひとつ
ひとつと、虚心になってむかい合いたい。

雷鳥の森のこと、掛井五郎さんのこと

リゴーニ・ステルンの『雷鳥の森』は、オーストリアの
グラーツの強制収容所を脱出して、ひたすら歩いてアル
プスを越えて、ひと月後に故郷のアジャーゴに帰り着い
た、その途方もない道のりを描いた短編連作だが、読ん
でほしいと友人知人にすすめて廻った。縁あってこの本
の翻訳をした志村啓子さんと手紙のやりとりをすること
になったせいもあったかもしれない。
志村さんは9・11以降、世界が急速に崩れてゆくさま
を実感するなかで翻訳を思い立ったというが、アジャー
ゴの森に住む不屈の老作家の胸にしまわれているたった
ひとつの倫理「ともあれ生きることに価値があるのだ」
ということの重さをわかち合いたい、という志村さんの
想いはつわってきた。リゴーニ・ステルンは、そうした
同志のことをコンパエザーノ(同郷人)と呼んでいたが、
この本をすすめることは同志をさがすことに等しかった
かもしれない。本をすすめた知人友人のうちに、彫刻家
の掛井五郎さんの奥さま芙美さんがいて、読み終わって
すばらしかったとていねいなお手紙まで下さった。そん
なこともあって、『雷鳥の森』の翻訳者志村啓子さんを
掛井さんご夫妻と会わせたいと思っていたところ、意外
に早く実現して掛井さんのアトリエへ志村さんをお連れ
することができた。掛井さんは、卓上にリゴーニ・ステ
ルンの盟友だったプリモ・レーヴィの著作をおいていて、
おそらく志村さんもその本にすぐに気がついたはずだ。
しばらくして、掛井さんの「掛け軸」仕立てのドローイ
ングの個展があったのだが、そこで思ってもみなかった
作品と遭遇することになる。それは『雷鳥の森』という
題名の作品で、翼をひろげたキバシオオライチョウ、大
きな薬莢、ふたりのニンゲン・・・、水筒のグラッパを
のみながらの猟が、簡潔な線で描かれている。一も二も
なくそれを求めて写真に撮ってそれを志村さんに送った
ところ、さらに北イタリアのアジアーゴで病床にあった
リゴーニさんのもとへ転送されることになった。それか
らしばらくしてリゴーニ・ステルンの訃報がとどいたが、
つかのまであれ、その剛直さにおいて通じるものがある
イタリアの作家と日本の彫刻家をコンパエザーノ(同郷
人)として結びつけることができたのは大きなよろこび
だった。そのときは、リゴーニの死から二年も経たぬう
ちに志村さんが急逝するとも知らずにいたのだが・・・。


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