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ギャラリーmu.an5周年企画 掛井五郎展『passion』

2012年9月21日(金)-10月10日(水) 10:00~18:00
26日(水)と3日(水)は休廊, 最終日は16:00まで.

◆ 掛井五郎展に寄せて『故郷をふりかえることなく』
佐伯誠|文筆家

いつだったか掛井さんが、「芸術家は故郷に帰ってはいけない」とおっしゃった。こういうとき掛井さんは謹厳な顔をしたままユーモラスなことをおっしゃるので、その真意をはかりかねた。年譜にあたってみると、たしかにふるさとから遠く離れて転々、ノマドのようにメキシコやベルギーやフランスに住んできたことがわかる。やさしいふるさとに抱擁されることを戒めてきたのは、そういう決意があってのことなのか、とあらためて思った。そのときは、口数が少なかったこともあって、おっしゃることが箴言めいていて、歳月の万力に搾られてしたたることばだと緊張した。もう一つ、「異議申し立てをする」というのも、いかにも掛井さんらしいことばで、これまでに長いものに巻かれるというようなことを一切してこなかったのではないだろうか。むしろ、あえてことを荒立てるようなところさえある。
いつも天を突き上げるように背筋をのばしてさっそうとしているダンディぶりについつい騙(だま)されるのだが、掛井さんはいわゆる成熟というものを拒んでいるということでは恐るべき子どもなのだ。無二の友人でもある彫刻家の保田春彦さんが掛井さんのことを、オトナであるのに子どもの描線を有していると評したことがあった。つまりは、生まれながら描線のたしかさを身につけていて、しかもそのことを制約としていないということだろう。
初期のデッサンやブロンズ像をみると、この人がいかに早くマエストロのメチエ(技法)を獲得していたかに驚かされる。それから以降は、年齢をさかのぼるような奔放自在さに目をみはる。近年の作品では、昆虫をモチーフにしたシリーズがそうだったが、木でこしらえた虫が、いまにもムズムズ動き出しそうだった。ギュッと生命そのものをつかんでいて、ホラ生きてるだろ、と突きつけるような躍動感があった。お孫さんが作ったのを見て、それに刺激されて憑かれたように制作したのだということだった。
掛井さんは、常に新しいことを敢行することを止めない人だが、その原動力になっているのは「パッション」以外のなにものでもないだろう。パッション(情熱/受苦)こそは、掛井五郎という希有の彫刻家のふるさとなのだ。(以上 新潟日報「あーとぴっくす」掲載文より)

掛井さんのノアの方舟

このあいだ掛井さんのお宅をたずねたとき、ついに完成したという絵巻物三巻をみせていただいた。旧約聖書を題材にしたもので、『ノアの方舟』『哀歌』『ヨハネ黙示録』の三部作で、いずれも二十七米にもおよぶ長尺で、それぞれ一字一句を書き写してそこに自由に絵を付けたものだ。ゆっくり巻物をひろげてみせてもらったが、ことばを失って黙りこくるしかなかった。描かれているのは、この世のあらゆる災厄の地獄図だが、悲惨さよりも希望のようなものを感じた。この絵巻をなんとしてでも展示しなければという切迫した想いにかられたのも、これこそがほんとうの鎮魂になると信じたからだ。
昨年、掛井さんからいただいた手紙に「今日も書きつづけているのは〈ノアの方舟〉です。我が家を方舟にしたてて、流れてゆく物語です。毎日、報道されている、災害も、旧約聖書、創世記の時代と重ね合せ、驚くべき新鮮さを感じます。」とあったことを思い出したのだが、古典へと回帰するというよりはむしろ現在にこそ関心をもっている作家の関心のあり方にも、不意をうたれた。
つけくわえると掛井さんのお住まいは、たしかに方舟のようで、大きな扉をあけると彫刻がスクッと立っていて、アトリエの棚にならんだマエストロの手遊びのオブジェなども、いずれは方舟につまれるようにいかにも安堵した顔つきだ。
掛井さんは、無名であることの重要性をおっしゃったこともあって、そのことで思いあたるのはシモーヌ・ヴェイユの「名もなき者となること、人間という物質になること」という苛烈なことばだ。そうした決意は、世界が悲惨さに充ちているということに歯ぎしりするからのことだ。掛井さんというと、じっとしてないでいまにも動きだしそうな、天衣無縫な生命讃歌の作品ばかりだと思われがちだが、おそらくは死者をよみがえらせたいという祈りに発している。それほどに、世界には殺戮と災厄がたえないということだが、それに異議を唱えるのがニンゲンの努めだということだろう。ニンゲンというのがあいまいなら、藝術家といってもいい。
八十歳をこえて矍鑠としているのは、掛井さんの胸のなかにマグマのようにパッションが沸騰しているからにちがいなくて、それこそがノアの方舟の舳先を未来へとむけるものだろう。

労苦という名のパッション

樽のなかに住んでいた古代ギリシャの哲学者、ディオゲニスは、「もっともすばらしいもの、それは労苦だ」といったというが、それは皮肉とばかりはいえないかもしれない。なぜなら労苦とは力を引き出す壁のようなもので、それがなければニンゲンは持てるものを行使するというよろこびを感じることができない。彫刻家というのは、この労苦についてのプロフェッショナルといってもいい。鉄や石といったおいそれとは従わせられない素材を、なんとか確固としたフォルムへと形づくるのだから。
掛井五郎さんは、その風貌からいってもまがうことない彫刻家で、ジャコメッティに比す人も少なくない。けれどその作品をみていくと、むしろ硬直したところのないしなやかな奔放自在さに特長がある。ブロンズ、鉄、木、ガラス、紙、石ころ、ありとあらゆる素材を選んで、ニンゲン、犬、花、昆虫、石ころ・・・それこそ森羅万象にわけへだてなく視線を注いで、ブロンズ、鉄、木、ガラス、紙・・・、ありとあらゆる素材によって、新しいいのちを吹き込む。チョコレートの函がオブジェになっていたり、ワインの栓が道化の顔になっていたり・・・、まさに慈愛にあふれたブリコルール(器用人)だ。ギャラリーで人と話しているときも、手は動いていて、なにかしら作っている。こういう人にとって、労苦というものは親密なものなのだ。それなしに、生きている実感も味わえないだろう。
労苦というものは、どんなときにも自ら率先して引き受けるもので、世界との親和をはかるための秘儀といってもいいかもしれない。労苦の裏には、赤い血の、燃える焔の、パッションがぴったり貼りついているのだ。
このあいだ、掛井さんのお宅で、ついに完成した旧約聖書三部作の絵巻物をみせていただいた。いずれも全長二十七米にもおよぶ長尺で、『ノアの方舟』『哀歌』『ヨハネ黙示録』の一字一句が筆で写され、自由な絵が付けられている。ただ圧倒されるばかりで、ことばも発することができなかったが、おそらくは日々倦むこともなく描きつづけられた成果だろう。描かれている地獄図は悲惨だが、災厄をはねかえすようないのちの大河だと思った。いま、あらためてこの希有の彫刻家の作品のひとつひとつと、虚心になってむかい合いたい。

雷鳥の森のこと、掛井五郎さんのこと

リゴーニ・ステルンの『雷鳥の森』は、オーストリアのグラーツの強制収容所を脱出して、ひたすら歩いてアルプスを越えて、ひと月後に故郷のアジャーゴに帰り着いた、その途方もない道のりを描いた短編連作だが、読んでほしいと友人知人にすすめて廻った。縁あってこの本の翻訳をした志村啓子さんと手紙のやりとりをすることになったせいもあったかもしれない。
志村さんは9・11以降、世界が急速に崩れてゆくさまを実感するなかで翻訳を思い立ったというが、アジャーゴの森に住む不屈の老作家の胸にしまわれているたったひとつの倫理「ともあれ生きることに価値があるのだ」ということの重さをわかち合いたい、という志村さんの想いはつわってきた。リゴーニ・ステルンは、そうした同志のことをコンパエザーノ(同郷人)と呼んでいたが、この本をすすめることは同志をさがすことに等しかったかもしれない。本をすすめた知人友人のうちに、彫刻家の掛井五郎さんの奥さま芙美さんがいて、読み終わってすばらしかったとていねいなお手紙まで下さった。そんなこともあって、『雷鳥の森』の翻訳者志村啓子さんを掛井さんご夫妻と会わせたいと思っていたところ、意外に早く実現して掛井さんのアトリエへ志村さんをお連れすることができた。掛井さんは、卓上にリゴーニ・ステルンの盟友だったプリモ・レーヴィの著作をおいていて、おそらく志村さんもその本にすぐに気がついたはずだ。
しばらくして、掛井さんの「掛け軸」仕立てのドローイングの個展があったのだが、そこで思ってもみなかった作品と遭遇することになる。それは『雷鳥の森』という題名の作品で、翼をひろげたキバシオオライチョウ、大きな薬莢、ふたりのニンゲン・・・、水筒のグラッパをのみながらの猟が、簡潔な線で描かれている。一も二もなくそれを求めて写真に撮ってそれを志村さんに送ったところ、さらに北イタリアのアジアーゴで病床にあったリゴーニさんのもとへ転送されることになった。
それからしばらくしてリゴーニ・ステルンの訃報がとどいたが、つかのまであれ、その剛直さにおいて通じるものがあるイタリアの作家と日本の彫刻家をコンパエザーノ(同郷人)として結びつけることができたのは大きなよろこびだった。そのときは、リゴーニの死から二年も経たぬうちに志村さんが急逝するとも知らずにいたのだが・・・。

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